弘治2年明智城落城
明智三代(光継・光綱・光安)の事

岐阜県可児市瀬田長山にあった明智城は、康永元(1342)年、美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が「明智氏」を名乗ってこの城を築いて以来、約200年の間、明智氏代々の居城となっていました。この明智城をめぐる明智家三代の人物について、田中豊先生がお話をします 。
※田中豊先生の歴史講座の場所が、今回は博物館になっておりますので、ご注意ください。

講座予約状況

この講座は終了しました。

講座詳細

日時 : 2019年12月21日(土)午前10時から11時30分
講師 : 元一宮市立北方中学校校長 田中 豊先生
場所 :  一宮市博物館(一宮市大和町妙興寺2390)
駐車所あり(60台分)
会費 : 500円(当日受付にてお支払ください)

明智城は、岐阜県可児市瀬田長山にあった城で、康永元(1342)年、美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が「明智氏」を名乗ってこの城を築き、その後約200年の間、明智氏代々の居城となっていました。別名長山城または明智長山城と呼ばれています。
弘治2年(1556年)9月19日、稲葉山城主斎藤義龍は、道三方に味方した明智城を攻撃します。その結果、明智城主明智光安(光秀の父光綱の弟)は自刃し、明智城は落城。明智一族は滅びました。この後、義龍方に味方した光秀は浪人となり、実家の大垣市上石津多良に妻子共に身を寄せました。
光秀の祖父光継を含む、明智氏三代の事について、田中豊先生がお話します。

一宮市博物館駐車場案内図