◆日時 : 2025年3月2日(日)午前10時~11時30分
◆講師 : 元一宮市立北方中学校校長 田中 豊先生
◆場所 : 一宮駅 i-ビル3階 市民活動支援センター
(一宮市栄3−1−2 )
◆会費 : 500円+冊子代300円 合計800円
(当日受付にてお支払ください)
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明智光秀の実父は、大垣市多良城主 山岸信周、実母は、可児市明智城主 明智道綱の妹市。山岸家の遠祖は、加賀国江沼郡山岸村の南朝方豪族 山岸光頼。光頼は、後醍醐天皇皇子尊良親王・重臣新田義貞が討死した後、本巣市根尾に落ち延びた新田義貞の弟 脇屋義助を慕って、家来を率い、根尾長嶺城を居城としました。5代光範には嗣子がなく明智氏から養子を迎えました。これが山岸・明智重縁の始まりとなります。
光秀の長兄山岸美作守晴舎は、足利将軍義輝の専属料理人でしたが、「永禄の変」で晴舎と嫡男輝舎は、将軍と共に自滅しました。輝舎には嗣子がなく、光秀の長男光舎が養子となりますが、山岸氏嫡流は断絶し、光舎ただ一人生き残りました。光秀の家は明智城落城の折、一族討死。光秀は一人脱出し実家の多良城に匿われますが、後に「本能寺の変」で明智氏は断絶しました。
こうした山岸・明智の名流終焉の劇的ドラマの詳細を、田中豊先生がお話します。