古文書に見る実録忠臣蔵
浅野内匠頭家臣大石内蔵助敵打

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講座の概要

田中先生が、この「忠臣蔵」に関する古文書を紐解き、赤穂の大石神社宮司が伝える実録を元に、さまざまな「エピソード」を交えて、お話しします

講座詳細

講師 : 元一宮市立北方中学校校長 田中 豊先生
日時 : 1月9日(土)午後2時~午後3時30分
場所 : 一宮市民活動支援センター内会議室
(一宮市栄3−1−2 i-ビル3階)
会費 : 500円(当日受付にてお支払ください)

浅野内匠頭長矩は元禄14年3月14日、殿中松の廊下で勅使接待役指南高家筆頭吉良上野介に「予ての遺恨、覚えたるか」と切り付け、長矩は即日田村左京太夫邸において切腹。
亡主の恨みを晴らそうと、大石以下47名が翌年12月14日夜半、本所松阪町の吉良邸に討ち入り、みごと上野介の首級を挙げて本懐を遂げる。江戸市中の武士、町人などから盛んな喝采を浴びた、いわゆる「忠臣蔵」は、小説、映画、TVなどで、皆さんご存知の大事件。
一宮市浅野公園は、浅野長政屋敷跡と伝えられ、女房の「やや」は、太閤秀吉の女房「ねね」の妹であり、秀吉とは相婿。長政の次男長重、その子長直、その子長友の時、赤穂城主となり、その子が浅野内匠頭長矩である。そして松の廊下で、長矩を後ろから抱きかかえて狼藉を鎮めた梶川頼照の遠祖高秀は、一宮市奥城主で屋敷跡の碑が、奥町の貴船神社本殿裏にあります。大垣藩主戸田采女正が長矩と相婿でしたので、美濃に古文書が残りました。
今回は、田中先生が、この「忠臣蔵」に関する古文書を紐解き、赤穂の大石神社宮司が伝える実録を元に、さまざまな「エピソード」を交えて、お話しします。